言葉の退歩

 ラジオに京都だったか、霊長類学?の先生が出ていた。「携帯でつながってないとさびしい」若者たちの傾向を分析して、「言葉の退歩であり、サルの世界に戻りつつある」とおっしゃる。顔文字による感情の伝達など、2人(おたがい)以外に通じない言葉になりつつあるのは、意味の伝達でなく、ただの感情の伝達であり、人の文化が狭まって猿の域まで退歩していくあらわれ・・らしい。そういえばそうかもしれない。純文学の危機もそこから来ているのかもしれない。ひとつひとつの言葉の大切さを教えられる事件が続く昨今である。「作家」を目指す我としても、今の世相にマッチした、民主主義の言葉をどう発見し使うか?いつも頭に置いて考えなければならないのだろう。