多津美公民館の郷土史講座

 小野敏也さんの、「辞世」の話題。倉敷に関係ある人の辞世の句や歌が並んだ。聞けば死に際して歌や詩を読むのは日本人だけだとか?。すごい。我も何か残そうか??
 旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る
 仔細に芭蕉を研究すると、彼自身は別の俳句を辞世にしたかったのでは?と思われるそうだ。どうも「秋深き隣は何をする人ぞ」らしい。
 現代は「死」が類型化され、そのものと向き合うことが少なくなってるとか。それだけに生きてきた意味を問い直し、小さな歴史を刻む・・。自分のやってきたことを誇るだけの「まんじゅう本」ではなく、「今こそ辞世の歌を」らしい。むむっ、我もまんじゅう本を出しそうだ。(まんじゅう本=葬式でまんじゅうの変わりに配る本)
 う〜ん。小野さんもさすがに死を意識しておられるようだ。我もまた同じく。この半年間で我の意識も少し変わった。「死」。これは何なんだろう??。人にとって永遠のテーマであり、かつ、歴史にとっては小さなテーマなのかも知れない。