大廻小廻山城遺跡シンポジウム

 岡山の就実大学で。鬼ノ城と並ぶ吉備地方の古代山城。
 韓国の山城の全貌報告がよかったほか、「東吉備を支配するために、大和政権が作った軍事施設。後背地が児島屯倉。実際は軍事的プレゼンスが目的」という説(出宮説)が印象的だった。7Cのものとすると、古墳時代が終わろうとする頃。当時の吉備に独自にこんな城を作る力(権限)があったとは考えにくい。傾聴に値する説だが、それならなぜ記紀に記載がないのか?これから傍証を固めたい説である。ちなみに「天智山城」よりは先行したという。
 4時間もじっと机にむかって座った時間。しかも一方的に聞くのみ。最近ではないことで、「ふー、疲れた。」が実感。